「へ」について思うこと

「へ」と言ってもおならのへではなく、「え」と発音する「へ」のことです。
ふと思ったのですがこの言葉はもしかして現在消えようとしていませんか?
普段書く文章で「え」と読む「へ」を書いたことがないのですし、発音した記憶も無いんです。
別の文字で異なる発音というのは「は」を「わ」と発音するのが有名ですが、こちらは安泰です。
「今日はいい天気だ」をはを使わずに言い換えることは出来るでしょうか。
「今日がいい天気だ」意味は同じですが断定形になってしまいます。不自然です。日本人にとってこの違いは明確です。
「今日もいい天気だ」時間的連続性が混じってしまいます。
「今日のいい天気だ」日本語として間違っています。
「今日のいい天気よ」何を感嘆してるんでしょう。
「今日をいい天気だ」日本語として間違っています。
「今日をいい天気とする」何の権限があってそんなことが言えるのか。

片や「へ」はどうでしょう。へは方向や対象を指すときに用いますが、
「西へ行こう」→「西に行こう」
「君へ捧げる」→「君に捧げる」
そうです。「へ」は「に」で代用できてしまうのです。そして今やどちらの方が自然に感じるでしょうか。私は「に」の方が自然に感じます。

しかし「へ」の方が自然な場合も残されています。それは
「どうぞこちらへ」
「親愛なる山田さんへ」
と言うように語尾に付く場合です。
「どうぞこちらに」 → こちらにどうするの?
「親愛なる山田さんに」 → 山田さんにどうするの?
と言うような印象を抱くのではないでしょうか。
つまり「へ」が語尾に付く言葉が有れば良いのです。
しかし、あんまり無いですね。他にありますか?
そして、この二つの用法があるから安心だと言い切れるでしょうか
上の例では。
「どうぞこちらに」 → こちらにどうするの? ああ、来てくださいってことか。
というように、「に」で区切ってもあまりにも容易に先の推測がつくし、それほど不自然に感じられるでしょうか。
しかも
「どうぞ」
「どうぞこちらにいらしてください」
では「へ」は不要です。つまり上の例では「へ」が出てくる確率は極めて低く、しかもその少ないチャンスでも使われない可能性があるのです。

では下の例はどうでしょう。
「山田さんに」 に?捧げるとでも続くんですか?やだなあ。
        に?もの申すとでも言うのか?何様のつもりだ。
「山田さんよ」 芝居がかっているなあ。
「山田さんや」 おばあさんですか?
どうでしょう。どうやら呼びかけの「へ」は代替が聞かないようです。
しかしこの例は気取った人が手紙を書くときに付ける文章です。
普通の人なら
「山田さん、ご無沙汰しております。」
とでも書くでしょう。
「・・君へ」なんて書くのは
老教師、老文筆家、他に誰がいるでしょう。
そう言う気取った人たちが消えつつあります。
そもそも手紙自体が消えつつあります。

そういえば女子学生が教室で回すメモのたぐいには「みっちへ」(へには横線二本あるいは延びてハートになっていたりする)等という題字が付いていたりしました。
では安泰かというと若者の流行ほど当てにならないものはありません
そもそもこんな物は私が学生だった10年も前の情報です。いまの女子学生は教室でメモなど回していますか?どう考えてもやってなさそうな気がします。今は携帯メールですよね。(授業中は無理か?)
あれだけ世界を席巻したルーズソックスもとっくの昔に消えました。
止めろ、不気味だとさんざん言われていた山姥ルックも消えました。
女学生ほど文化をつなぎ止めない人種は有りません。

ああ何と言うことでしょう。「へ」の居所は今まさに消滅しようとしているのです。
イヤ、だからどうなのかと言われると、どうでもないのですが。悲しくもないですし。
今の人間が「昔はてふてふとかいてちょうちょうと読んだのよ」と言われるように「昔はへとかいてえと読んだのよ」と言われる日は遠くないのではないでしょうか。
しかし「てふてふ」を「ちょうちょう」と読まなくなったのがいつかは知りませんが、「へ」を「え」と読まなくなったのはここだ!と言えるかもしれません。いや、ふと気づいたら誰も言わなかったと言う感じでしょうから断定はできないですが。でも、何か良くないですか?そういう歴史を見てきたと言う感じがして。
言葉というのは一人の人間が生きている間だけでも結構変わる物なんですね。
それじゃあ古文が読めないくらい変わるのも当然ですね。

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