これは自分の作品に対する評価についてではなく、一般的なゲームや漫画に対する人の評価について思うことです。
人の作品に対する人の評価っておもしろいですね。多くの人が絶賛している作品に対してある人はぼろくそにけなしていたり。
基本的に自分が気に入った作品を悪く言われると腹が立ち、自分が気に入らなかった作品を良く言われていると意外に思う物ですが。

私の場合、極めて一般的な嗜好を持っているようで、多くの人が高評価している作品はやはりおもしろいと感じ、多くの人が評価しない作品に対して自分だけの価値を見いだすことはほとんどありません。
疎外感を受けなくて結構な話ですが本当はマニアックな嗜好にあこがれているんですけどね。
もちろん平均的な嗜好を持っていると言うことは多少独特な嗜好を持っている人とは合わないので、世間の評価は高くないがこの作品にはこういういいところがある、とある人が書いている作品をやってみるとだまされたと思うことが多々あります。
レビューなんかを書いている人は普通一癖かふた癖ある嗜好を持っているので、僕などの場合特定の人のレビューよりもマクロな人気投票などを参考にした方がいいのでしょうね。

で、そういった特定の人のレビューについて思うことなのですが、作品に対する評価に絶対的な基準という物は存在しませんから、自分が感じたままに書くしかありません。
でも評価には多分に好き嫌いの要素が入るんですよね。もちろんこの人は単なる好みで物事を言っていないな、好みで語るときはちゃんと断ってるな、というひとは大勢いますが、主に批判ばかりしている人にはどちらかというと感情が先行しているような気がします。
しかし別にこれは悪いことではないですよね。その人に好きだという感情を起こさせたならその作品はいい作品だし、嫌いだという感情を起こさせたなら悪い作品でしょう。感情でどうこういうのは別に悪くないと思います。

言いたいことがぴょんぴょん跳びますが、まあつれづれなるままに書いているので。
私がここで言いたかったのは、ある同じような評価眼を持った人が二人いたとしても、片方は誉めて片方は貶すということがある、ということです。
ある絵があり、絵としてはぱっと見るととても美しい。ところが細部を見ると少々デッサンの狂いが見られる。という評価を二人がしたとしましょう。
で、片方は「とてもきれいな美しい絵」と評価し、片方は「デッサン力のないへっぽこ」と評価しました。
まあ長所だけ見て短所に目をつぶる人と短所に目を付けて長所を無視する人が世の中にはいるわけです。

で、思うんですけど、人のことを認めと、なんか自分がその人より劣っていることを認めるという心理が働きませんか?
で、逆に人に文句を付けるとなんかその人に対して自分が優越しているという心理が働きませんか?
私は実は結構そうだったんです。世の中にはそういう人って以外といますよね。なんかすべての他人を認めないって人。すべての人は自分が認める価値がないと主張しているのかどうかは知りませんが。
まあ単に珍しい趣味してるだけで、変な人を絶賛していたりするケースもありますが。

でも確かに、端から見ていて、この人はすばらしいと度が過ぎるほど入れ込んで尊敬しまくっている人って端から見ると馬鹿みたいですよね。
アイドルを追っかけ回す人とか、その人の言ったことはすべて絶対の真理であると思いこんでその人の言葉ばっかり話す人とか。
逆に世の中に対して斜に構えて批判ばかりしている皮肉屋は賢く見えませんか?私はなんかそういう気がします。

しかし、どちらの方が人生楽しいかって言えば圧倒的に前者だと思うんですよ。
確かに人間には他人を馬鹿にして喜ぶという性質があると思いますが、それってむなしいことですよね。
あいつは馬鹿だ、こいつはくずだといったところで、まあだから自分は素晴らしいんだと信じ切れる人ならそれでも幸せかもしれませんが、通常はだからといって自分がそんなに賢いかというとそんな分けない。
結局あいつはこんなすごい奴だある。いやそんなはず無い、あいつにはこういうだめなところがあるなんていうふうに、歪んだ劣等感の転化でどんどん陰鬱になっていくだけだと思うんですよ。
基本的に、他人の悪口を言うというのは暗い陰鬱な行為ですから、一時は楽しくなっても後々で考えればやっぱり暗くなる行為だと思うんですよね。心がすさむといいますか。
他人の悪口を言うと本当に心が安らかに、幸福に満たされた気持ちになるという方も中にはいらっしゃるでしょう。世の中色んな嗜好の方がいますから。しかし、普通は悪口というのは不満や怒りといった悪感情を緩和させるためのものであって、それ以上の幸福感を起こすものではないんですよね。
では人を誉めるということはどうでしょう。誉めるというのはある意味では余裕を意味しますよね。心が豊かになる。相手も嬉しくなる。
褒めるということは決して負けを認めることじゃないんですよ。その辺はわかっていたい。

しかし褒めると言っても、余裕から来る賞賛はあまり良くないでしょうかね。
実力上位者が、圧倒的に実力下位の者が上達したら喜んで誉める。しかし、自分を脅かすほどに上達してくると途端にこき下ろし出す。
とっても良くある話ですね。で、追い抜かれてしまったらどうしましょうか。再び追い抜くために必死に努力する。これは素晴らしい姿ですね。
まあ一生懸命がんばっているうちは余裕はないですけど張りがあって充実した人生を送れるでしょう。
さて、しかしもう追いつけないとわかってしまい、努力する気を無くしたときはどうしましょうか。これはその人を認められるか、認められないかで大きく変わると思います。認められる場合、あいつは天才だったんだ。仕方ない。一時でも張り合えて満足だ。
とか、あいつがへたっぴだった頃指導してやったんだ、とか。過去の思い出にして心安らかでいられると思うんですよ。
では認められない場合。あんなへたくそが俺より上に行くはずが無い、何か卑怯な手を使ったに違いない。と思いこみ、他人に話すときはあいつは卑怯者で俺を騙してああなったんだ。とか話すことになるわけです。
どっちの方が心安らかでしょうね。

あきらめて認める あきらめずがんばる あきらめるけど認めない
心の平安度 × ×
将来性 × ×


こんな感じでないですか? とにかく、どうせがんばれないなら認めちゃった方がいいですよね。
世の中にはこんな素晴らしい人がいるんだ、と尊敬できる人は幸せな人ですよ。端からはどう見えても自分が良ければいいのだから。
人のいいところは素直に認め、悪いところはなるべく目をつぶる方が、心安良かで幸せな気分でいられると思いますね。
まあ向上心がありませんが。

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